1868年、北越戊辰戦争の際、新政府軍(官軍)の本陣が置かれました。河井継之助率いる同盟軍の長岡城奪還作戦の折、今町は激しい戦場となり、永閑寺の本堂も焼失してしまいます。明治20年、惨状を痛んだ有栖川宮熾仁親王から「永葉閑雅寺」の扁額が贈られ、今も目にすることができます。(額の見学は要問合せ)