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見附市の寺社仏閣

永閑寺

1868年、北越戊辰戦争の際、新政府軍(官軍)の本陣が置かれました。
河井継之助率いる同盟軍の長岡城奪還作戦の折、今町は激しい戦場となり、永閑寺の本堂も焼失してしまいます。
明治20年、惨状を痛んだ有栖川宮熾仁親王から「永葉閑雅寺」の扁額が贈られ、今も目にすることができます。(額の見学は要問合せ)

新潟神社

創立年月は不明。
明治四十年(1907)に村内の字堂裏の神明宮(天照皇大御神)、字堰根の八幡宮(誉田別尊)と十二神社(大山祇命)、字大坪の八幡宮(誉田別尊)、字八幡の八幡宮(誉田別尊)、字野川田の諏訪社(健御名方命)、字羽黒の羽黒神社(伊弉冉尊)を合併し、地名を取って「新潟神社」と改称した。
出典: Niigata-u.com

小栗山 不動院

越後三十三観音霊場第17番札所、越後八十八ヶ所霊場第57番札所。
行基菩薩が自ら千手観音を彫られ、この地に安置された。
大同元年(806)、紀州の浄蓮上人と坂上田村麻呂がお堂を建て、開眼法要を行ったことが興りとされている。
上杉謙信公もこの観世音に深く帰依し、八幡太郎義家もここに戦勝祈願に訪れたとのこと。

秘密山 椿沢寺

越後三十三観音第16番札所として知られている。
和銅年間(708~715年)、北越巡錫で当地を訪れた行基菩薩が、川上から流れ着いた椿の霊木に千手観世音を彫り込み安置したのが観音堂の興りとされている。
また、椿沢寺については、大同2年(807)、常尊上人が、阿弥陀三尊を彫刻して安置したのが興りとされている。
戦国時代には上杉謙信の帰依が厚く、その祈願寺とされたと伝えられている。

総持寺

越後八十八ヶ所霊場第58番札所。
弘法大師空海が開いたとも、行基菩薩が巡錫で訪れた際、自ら刻み込んだ薬師如来像を安置したのが興りとも伝えられている。
出典: https://www.niitabi.com/